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Indian Dance
カタックダンス ラジャスタン民舞
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カタックダンス:みやびカタックダンスアカデミー

カタックダンス | ラジャスタン民舞 |
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カタックダンスはインド4大古典舞踊の一つで、北インドで最も多く踊られています。
一説にはフラメンコの源流とも言われ、
足にグングルと呼ばれる真鍮の鈴を巻いて力強く軽快にステップを踏み、鈴音を奏でます。
アラベスク模様を象ったともいわれる、優雅で切れの良い所作と華やかな旋回、
口唱歌(ヴォイス・パーカション)とアビナヤ(マイム)を特徴とし、幅広い種類の踊りがあります。

カタックダンスの別名は“ムーンダンス”。

繁栄を誇ったムガル宮廷では、砂上に輝く美しい月夜の晩に、音楽と舞踊の宴が催されていたと言われます。人々は月を愛し、月に関する詩や曲、そして月を模した所作で踊る踊りが多く作られました。伴奏には、北インド一帯で演奏されるサーランギー、パカワジ、シタール、タブラ、バンスリーなどの楽器が用いられました。

カタックダンスは、インドの他、アメリカ、イギリス、ドイツなど世界各地で広く踊られています。

■ History

カタックダンスは、紀元前5世紀ごろ、「カタカ」と呼ばれる身分の高いヒンドゥー教の語り部達が神話や英雄物語を伝導して歩いたことが起源とされています。

16世紀以降、北インド一帯がムガル帝国の支配下に置かれるようになると、カタカ達はその芸術性を認められて宮廷に庇護され、華やかな宮廷舞踊が繰り広げられようになりました。隣国ペルシアの豪華絢爛な王朝文化を模したムガル宮廷では、宮廷語としてペルシア語が用いられ、現地語とペルシア語の混成語であるウルドゥー語が形成されました。
宮廷人は美しいウルドゥー語の詩を競いあうようにして作り、音楽と舞踊もペルシア文化の影響を受けて大きく発展していきました。

関連映画:Mughal-e-Azan「偉大なるムガル帝国」、Analkaliなど

写真左:16世紀、ムガール帝国支配下の宮廷内

18世紀以降、弱体化していったムガール帝国に隣接するアワド藩王国(現在のラクナウ)では、世界一の繁栄を夢見た太守ワジド・アリ・シャーのパトロネージの下、北インド宮廷舞踊は全盛期を迎えます。
太守自らが、僧侶階級出身の高名な師匠(タクール・プラサード)を宮廷に迎えて踊りを習い、ハーレムの女性で舞踊団を結成してヒンドゥー神話の舞踊劇を発表するなど、音楽舞踊人のために湯水のようにお金が遣われました。
しかし、享楽の時は長く続かず、太守は英国によって莫大な年金と共にカルカッタに追放され、全インドは英国統治時代に入ります。

関連映画:サタジット・レイ監督 The Chess Player「チェスをする人」

写真左上:ラクナウの踊り子
写真左下:アワド藩王国の街

イギリスの直轄地となったカルカッタは音楽の都として栄えるようになり、踊り子達は英国人という新たなパトロンを見つけ、人生を謳歌したと言われています。

関連映画:Mangal Pandey

写真左:英国統治時代のドゥルガ・プジャー(カルカッタ)

アワドやラジャスタンでも親英の藩王の庇護によって、北インド文化は爛熟期を迎え、歴史に残る優れた芸術家達を輩出しました。アワドでは、プラサード一族の若き獅子であるビンダディン・マハラジとカルカ・プラサードが頭角を現しました。彼らのパフォーマンスは、全インドで熱狂的な支持を得、カタック・ナトワリ・ヌリッタは一世を風靡しました。また、ビンダディン・マハラジは3000を越える美しい詩を残し、現在のラクナウ派カタックダンスの曲に使われています。

写真左:ラジャスタン藩王国でのカタックダンス(細密画)

ウルドゥー語ではタワイフと呼ばれた当時の踊り子達は幼いときから優れた師について教えを受け、師から許しを得て宮廷に上がり、高貴な宮廷人のサポートを受けて高い教養と芸妓で人々を魅了しました。

関連映画:Umrao Jaan「踊り子」、Devdas「デーヴダス」、Pakeeza、Salma等

写真左:ベナレスのタワーイフ

インド独立後、「カタカ」が起源とされるこの宮廷舞踊は、新政府によってカタックダンスという名前を新たに与えられ、インド人間国宝パドマビプーシャン・パンデット・ビルジュ・マハラジ師によって、洗練された舞台芸術へと発展していきました。
師は、それまでの、詩やシュローカ中心で踊られていた舞踊に、北インド古典音楽の理論に基づいた、音楽師泣かせの複雑なリズムを新たに加えることによって、全身でリズムを表現していくという独自のテイストを作りだすことに成功しました。さらに、直線的な動きの中でより優雅に見え、しかも切れの良い動きも創出しました。
師の創出した舞台芸術は高い評価を得、今日、カタックダンスはインド4大古典舞踊の一つとしてゆるぎない地位を得ています。
一説にはフラメンコの源流とも言われるカタック・ダンスの基本姿勢は直立姿勢で、足にグングルと呼ばれる真鍮の鈴を100個から200個巻いて踊ります。

写真上:「Shan-e-Mughal」カタック・ケンドラによるダンスドラマ、アクバル皇帝の宮殿でのカタック・ダンス

力強く軽快なステップ、華やかで切れの良い所作と多種の高速旋回、アラベスク模様を象ったといわれるシンメトリーな動き、全身で感情を表現するアビナヤ(マイム)、そして口唱歌(ヴォイス・パーカッション)を特徴とするこの舞踊は日本の家元制のように一つの家族が代々伝えており、主な流派にヒンドゥー文化とイスラム文化が融合した舞踊を伝えるラクノウ派、ヒンドゥー神話を踊るジャィプール派、バナーラシー派などがあります。。
最も古い流派であるラクノウ派の現在の家元は、7代目のパドマビブーシャン・パンデット・ビルジュ・マハラジ。
師の振り付けは、非常に優雅で美しい高度な変拍子で成り立っています。

写真左:巨匠パンデット・ビルジュ・マハラジ

カタックダンサー

Padmavibushan Pt. Birju Maharaj

現存する流派の中で最も長く続くラクナウ派カルカ、ビンダディン一族7代目家元。父親であるアッチャン・マハラジ、叔父のシャンブー・マハラジ、ラチュ ―・マハラジに師事。28歳でサンギート・ナ タ―ク・アカデミー・アワードを受賞した他、数々の賞を受賞。インド独立後、カタックダンスを新らしい時代のエンターテインメントとして展開し、独自のセンスで斬新で芸術的な作品を次々に発表。著しい成功を収め、現在に至っている。インド国内はもちろん、海外からも最高の賛辞を受けている。

ソロパフォーマーとして、また、サスワティ・セン、マルティ・シャヤム、ドゥルガ・アリャ、ベロニカ・アザン、ディーパック・マハラジなどの優れたダンサーを育てたグルとしても高く評価されている。

国民的な大舞踊家であると同時にまた、卓越した作曲家、歌手としても知られ、サタジット・レイ監督の映画"The Chess Player" ではプレイバックシンガーを努めた。"Gadar"、"Dil to Pagar Hai"、"Devdas"では映画中、振り付けを行っている。

Vidushi Saswati Sen

コルカタ出身。インド国立舞踊学校カタック・ケンドラにてPt. Birju Maharajに師事。Kalashramで教鞭を取る他、アメリカ・英国などで毎年ワークショップを行う。 海外公演多数。正確なリズム、切れのある旋回と所作、見る人の心を打つ表現力(アビナヤ)が高く評されている。 最近はカラシュラム・プロダクションの「ロミオ&ジュリエット」にてジュリエットを演じ、演技に一層深みが加わった。2005年、サンギート・ナターク・アカデミー・アワードを受賞。

Deepak Maharaj

Pt. Birju Maharajの次男。 切れのある動きと超絶フットワークが素晴らしいアーティスト。 シンガーとしても高く評価されている。

Malti Shyam

ラクナウ派カタック・ダンサー。 古典作品を中心にファンを魅了している。

Aditi Mangerdas

アーメダバード出身のカタック・ダンサー。モダン・カタックの旗手。 カタックにYOGAの概念を取り入れた作品で大成功を収めた後、革新的な実験作品を次々と送り出している。 自らのカンパニー・ダクシャントを立ち上げ、多くの海外公演を成功に収めた。 彼女の創造的な作品は、常に第一線の批評家が注目している。

Pt. Rajendra Gangani

ジャイプール派の総帥。卓越したフットワークとエネルギッシュな舞台に最大の賛辞が寄せられている。

カタックダンスのダンスアイテム

ヒンドゥー文化とイスラーム文化が美しく融合したラクノウ派カタックダンスは、サンスクリットの歌詞で踊るヒンドゥー神話起源の踊りと、北インド宮廷音楽の規則に則って幾何学的に踊っていく純粋舞踊、ムガル時代以降に作られたガト、ウルドゥー(ヒンドゥー)語の詩に合わせて踊っていくガザル(愛の歌)、トゥムリなどがあります。
Copyright © 2010 Miyabi Kathak Dance Academy
みやびカタックダンスアカデミー:東京都千代田区麹町3-12-7 麹町エイチティーズビルB1F