宮廷人は美しいウルドゥー語の詩を競いあうようにして作り、音楽と舞踊はペルシア文化の影響を受けて大きく発展しました。
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イギリスの直轄地となったコルカタは音楽の都として栄えるようになり、踊り子達は英国人という新たなパトロンを見つけ、人生を謳歌したと言われています。
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アワドやラジャスタンでは、親英の藩王らの庇護によって文化は爛熟期を迎え、歴史に残る優れた芸術家を輩出しました。アワドでは、プラサード一族の若き獅子達、ビンダーディーン・マハーラージとカルカー・プラサードが頭角を現しました。彼らのパフォーマンスは、全インドで熱狂的な支持を得、ムガル宮廷舞踊は一世を風靡しました。また、ビンダーディーン・マハーラージは、宮廷にて3000を越える美しい詩を残し、現在、ラクナウ派カタックダンスの曲に使われています。
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ウルドゥー語でタワイフとも呼ばれた、当時の踊り子達は幼いときから優れた師について教えを受け、師から許しを得て宮廷に上がり、高貴な宮廷人のサポートを受けて高い教養と芸妓で人々を魅了しました。
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インド独立後、「カタカ」が起源とされるこの宮廷舞踊は、新政府によってカタックダンスという名前を新たに与えられ、インド人間国宝パドマヴィブーシャン・パンディト・ビルジュー・マハーラージによって、洗練された至高の舞台芸術へと開花しました。
師は、それまでの、詩やシュローカを中心とした舞踊に、北インド古典音楽の理論に基づいた、音楽師泣かせのコケティッシュなリズムを新たに加えることによって、全身でリズムを表現していくという独自のテイストを作りだすことに成功しました。さらに、女性がより美しく、優雅に見え、しかも切れの良い動きも創出しました。
師の創出した舞踊芸術は高い評価を得、今日、カタックダンスはインド4大古典舞踊の一つとしてゆるぎない地位を得ています。
カタックダンスの基本姿勢は直立姿勢で、足にグングルと呼ばれる真鍮の鈴を100個から200個巻いて踊ります。
軽快なステップ、切れの良い所作と素早い旋回、アラベスク模様、ウルドゥー文字を象ったシンメトリーな動き、全身で感情を表現するアビナヤ(マイム)、口唱歌(ヴォイス・パーカッション)を特徴とするこの舞踊は、日本の家元制のように、一つの家族が代々伝えており、主な流派にヒンドゥー文化とイスラム文化が融合した舞踊を伝えるラクノウ派、ヒンドゥー神話を踊るジャィプール派、バナーラシー派などがあります。
最も古い流派であるラクノウ派カルカー・ビンダーディーン一族の現在の家元は、7代目のパドマヴィブーシャン・パンディト・ビルジュー・マハーラージ。師の振り付けは、音楽師泣かせの、非常に優雅で美しい高度な変拍子で成り立っています。