月刊人事マネジメント「この業界の人事に学ぶ 〜インド舞踏家編〜」

◎研究職からダンスの道に転身

佐藤さんは、もともと国内でカタックダンスを学んでいたわけではない。
国立長岡技術科学大学大学院材料開発工学専攻修了後、東芝に就職、超伝導技術の研究を担当していた。
「新人研修が終わって落ち着いた頃に『ケイコとマナブ』でフラメンコ教室を見つけ、毎週日曜日、週1回のレッスンから始めました。子供の頃から踊りが大好きだったんです。1人で黙々とやる仕事だっただけに、激しいフラメンコは楽しくて仕方がありませんでしたね」

あるとき、そのフラメンコの源流がインドにあることを聞き、退職後の1995年に渡印。そこでカタックダンスの存在を知る。知人から南インドのダンスをしている日本人女性を紹介してもらい、彼女からカタックダンスの先生の電話番号を教えてもらう。
「そのときは学校に入ることまで考えていたわけではありません。先生に連絡したら、会う日時と場所を指定されて伺いました。インド国立舞踊学校カタックケンドラで教えてらしたんです。運がよかったのは、そのマルティ・シャーム女史はカタックケンドラのプロダクション・ユニットの第2舞踊手で、デリーでも2番目に評価が高いダンサーだったことですね」
10回ほどのプライベートレッスンを受けて帰国。しかし、気持ちは落ちつかなかった。

「なぜか『もう一度インドに行かなきゃ!』とばかり考えるようになり、マルティ・シャーム先生に何度も電話をしました」
佐藤さんは藁をもつかむ気持ちであらゆるツテを頼った。その結果、翌1996年、夢にまで見たインド国立舞踊学校カタックケンドラへの入学を果たした。クラスは11人、佐藤さん以外は全員がインド人である。マルティ・シャーム女史の授業は週3回、残りの3回はラクノウ派7代目家元である巨匠マハラジ師の長男、ジャイキシャン・マハラジ師のレッスンだった。

「マルティ先生のレッスンはソフトなダンスで、笛と一緒に踊ると楽しいものでしたが、ジャイキシャン・マハラジ先生のレッスンはそうはいきません。次から次へと新しいリズムが出てきて覚えきれないんです。インド人の生徒は子供の頃からカタックダンスをしていますから、1回見ればすぐにできます。私はその姿を見ながら、リズムを必死に覚えていました。きれいに踊れるかはその次の問題です。新しいリズムとムーブメントを覚えるのが先決で、頭と体力の戦いでした」(続く

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