月刊人事マネジメント「この業界の人事に学ぶ 〜インド舞踏家編〜」

◎日本人として初の活動免許を取得

1年目の終わりの期末試験を経てクラス分けが行われ、家元である巨匠マハラジ師のクラスになる。
「みんなが騒いでいて、そんなにすごい先生なのかと思いましたが、最初のレッスンで圧倒されました。教室も1年目の倍くらい、天井まで7~8メートルもある劇場のようなホールでした。マハラジ先生がいらしたとき、一番後ろにいたのですが、手足が緊張で震えたことを覚えています」

1年間、レッスンを受けた後、マハラジ師は定年で退官。インドでは恩師が去る場合、ともに付いて行くケースもあるが、佐藤さんはディプロマ(修了証書)を取得するため、カタックケンドラに残った。
翌1999年、念願のインド政府の国費留学、ICCRスカラシップを取得。カタックケンドラのレッスンに加え、マハラジ師が学長を務めるカラシュラム芸術学院でもレッスンを受けた。
「カッタクケンドラでは新しいリズムと新しいムーブメント、夕方のマハラジ先生のレッスンでは基本中の基本のムーブメントをひたすら学びました」
2000年には、師の主催するパドマビブーシャン・パンデット・ビルジュ・マハラジ舞踊団に日本人で初めて入団を許され、多くの公演に参加する機会を得た。この頃には、リズムの習得もインド人以上に早くなっており、それが人選の理由にもなっていたようだ。

舞踏団で活動するうち、マハラジ師の身辺で創作活動を目の当たりにする機会も増えた。「新作の場合は、1ヵ月前から毎日、毎日、創作メニューに取り組むことになります。ストーリーがあって主役や脇役がいるプログラムをインドでは『バレエ』と呼びますが、先生は伝統舞踏であるカタックダンスを現代風にアレンジし、それを私たちが踊るんですね。もちろん、先生ご自身も舞台の中盤に踊ります。歌舞伎と同じように舞踏家には持ち演目があって、先生の場合は『孔雀の踊り』が有名です。観客はそれが見たくて来ているんです。床を打つ足の音にしても、他の舞踊手とは全然、違います。一派を支えている本物の芸に直接、触れることができたのは本当に幸せでした」

佐藤さんは、2004年に日本人として初めてマハラジ師よりソロ活動免許を得て、翌年帰国した。その後もインドから招聘され公演に参加、国内外で活動するほか、みやびカタックダンスアカデミーを主宰し、後進の指導に情熱を注いでいる。(続く

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