月刊人事マネジメント「この業界の人事に学ぶ 〜インド舞踏家編〜」

要件:長期の練習を積み師に認められること

「カタックでは、40代、50代までは中堅でその後がようやくベテランの領域になります。プロの舞踏家としては、やはり師に認められることが何より大切です。私は2回だけ、公演を見に来ていただけました。1回目は2002年の日印国交樹立50周年記念創作、ジュガルバンディ『日本神話~天照大御神と月読命』。デリー最大の劇場で曲づくりからやりました。そして2回目は帰国前のソロ公演『Antara Raga』でした。

その結果は、『Masako do your work!』の一言です。ムーブメントはそこそこできてもインド人と比べて存在感が薄い。もっと練習して存在感を身につけなさい、ということだと解釈しています。昨年、国際交流基金の主催でニューデリーでソロ公演をしたとき、ご子息のジャイキシャン・マハラジ先生がおいでくださり、その後、師のもとにご挨拶に伺いました。私の公演の様子が伝わっていたんでしょうね。そこでようやく『Do new things!』と言っていただけました」

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情熱で辛苦を吹き飛ばす
踊りの大好きな普通のOLがインドに渡り、国立の舞踏学校に入学したうえ、名門の家元の弟子となってプロの舞踏家として独立。ちょっと長いが、一文で表すとこんなところだろうか。ドラマにしても、あまりにも出来すぎだと思われるかもしれない。
結果だけを取り出せばそういう印象を持つのが普通だろう。確かにラッキーの連続だったことはあるにしても、それは佐藤さんが何かに突き動かされるように自分の「踊り」を探し求めた情熱が引き寄せたものだ。
「エキゾチックで情熱的なフラメンコに惹かれ、ダンスを始めたものの、その表現の物悲しさが私の性格に合わないことに気づいたんです。その源流の踊りなら違うのではないかと思いました」
よくあるようにインドへの憧れが原動力となったのではない。

「踊り以外は生活との戦いでした。そこに潤いはありません。日差し、埃、衛生状態、すべてと戦っていました。最初の思い出はつらいことばかりです。食事では香辛料がきつくて体調を崩しました。インド人は親切で、みんなが心配して薬を持ってきてくれましたが、それがまた強烈でどんどんやせ細りました。幸い、懇意にしていただいていた旅行会社を経営するマダムの食事で回復することができましたが。引越しも滞在中20回以上しています」
10年間も滞在することができたのは、踊りが楽しかったからにほかならない。

「2年目くらいに将来、プロになって生きていくことを本気で考えるようになりました。日本でスタジオを持って生徒に教えようと。OL時代、週1回や2回のレッスンでも本当に心が洗われました。そのおかげでどれだけ仕事上のストレスから救われたか。そういう場所を提供できたらいい。だから中途半端な状態では日本に帰ることはできなかったんですね。帰国後、スタジオが持てて生徒さんに教える立場になって、私自身も成長したように思います。最近になって、ようやく説得力のある踊りに近づいてきたのかな。そんな気がしますね」

月刊人事マネジメント 3月号より転載

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